カラーリスト 2019.4.22

ひどい手荒れで諦めかけた美容業界にカラーリストとして戻ってきた僕

SPEEDY 那覇新都心店 マネージャー 屋良 洸哉

ひどい手荒れで諦めかけた美容業界にカラーリストとして戻ってきた僕

31歳。沖縄出身。大育理容美容専門卒。接客中に言葉が悪く聞こえるという理由から訛りを直し、標準語で話す特訓をした。休みの日もお店に顔を出すほどSPEEDYが大好き。趣味は海を車やバイクでドライブすること。

坊主一筋だった僕を変えた美容師さん

美容師を目指したのは中学3年生のとき。ずっと坊主だった僕が髪を伸ばし始め、初めて行ったサロンの美容師さんがめちゃくちゃカッコよかったんです。学生の僕でも楽しめる話題を振ってくれる話し上手なところや、床屋では見たことがなかったオシャレな服装。もう坊主にするのはやめましたし、その日は初めてワックスをつけた大切な記念日です(笑)。絶対に美容師になろう!そう思って高校卒業後は迷いなく那覇にある美容専門学校に入学しました。

普段の生活が難しくなるほどの手荒れ

卒業後もそのまま沖縄のサロンに入社。東京でいう表参道や原宿のように、当時沖縄にも美容室がたくさんあるオシャレなエリアが当時あったんですよね。働く場所はココにしようと決めていました。その中でも断トツで見た目がカッコいいサロンに就職。

でも入社してから分かったことがあったんです。それは、パーマやストレートに使用する薬剤と肌が合わないということ。入店してからの5年間はずっと手荒れが酷かったですね。毎晩、薬を塗って手袋をしないと寝れませんでした。

それに手荒れだけじゃなく人間関係も僕にとって毎日辛かったです。自分以外のスタッフは全員女性で、ひとりだけ男性の僕には当たりがキツいことが当たり前の職場でした。そんな環境の中でも”美容師の仕事が好き”という気持ちだけで続けていました。3年目の23歳でデビュー。メンタルは相当鍛えられましたよ。今はちょっとしたことで動揺したり、落ち込むことが無くなったので、そういう面では頑張って良かったなと思います。

まあメンタルは鍛えられましたが、手荒れはひどくなるばかりで。最後の方は関節のあかぎれが酷く、握り拳を作ることさえ出来ず…。手荒れで手を自由に動かせないという普通の生活が出来ない毎日に耐え切れず、美容師という仕事を辞めざるえませんでした。

大好きな美容業界で手荒れもなく続けられている

25歳のときに退職して、そこから1年ほど遊んでました。もうどうでもいいかなって半分、自暴自棄でしたね。でも将来のことを考えたとき、このまま遊び続けて自分はどうなるんだろう…って不安になって。どんな将来にしたいかなって思い浮かんだのが中3のときに憧れた担当の美容師さんでした。でもまた手荒れに苦しむ日々は送りたくない…。同じ悩みを持った人達はどうしているんだろう?とネットで調べていくうちに「カラー専門店」があることを知りました。一社目のサロンは近くに米軍基地が近く、海外のお客様がメイン。海外の方からオーダーされるカラーは独特な色味が多かったのでカラー技術には自信があったんですよね。

カラーだけなら手荒れに悩むことも無くなるかも、とカラー専門店で絞って求人を探し、SPEEDY 那覇新都心店に出会いました。最初はアルバイトから働き始め、社員になり、入社して1年後の27歳の時に店長に。勤務開始して5年経ちますが、手荒れは全くありません。シャンプーのときだけ手袋をしているぐらい、生活も普段通りに送れています。

今年で31歳になり、店長も4年目。今はSPEEDY那覇新都心店として独立したいと願うほど、SPEEDYもメンバーも大好きです!もう家みたいな感じで、休みの日でも顔出してます(笑)。スタッフのため、SPEEDYのため、自分の将来のために、もっともっとお店を盛り上げられるよう頑張ります!

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